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日常の中の異空間

ほんの気まぐれで小さな神社に足を踏み入れる。

あたりはすっかり真っ暗になっていて、街灯の光がないと少し先を見るのも難しい。そんな道を歩いていると、眩しい電灯の明かりが目に入り、なんとなしにその場所に向かう。

そこは小さな神社だった。
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暗闇の中に浮かんだ小さな神社の本殿、おそらく昼間見ても感じないであろう、どこか厳かでその敷地の中だけ、まわりと違う空間であるように思った。

その空間に足を踏み入れるを少し躊躇ったが、そっと足を踏み入れる。足の裏には玉砂利を踏みしめる感覚と、玉砂利の音が静かに響く。なるべく音を立てないように、足を運んでみるが、やはり足音は消えない。
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もちろん、誰に気を使ったわけでもなく、また気を使う必要もない。
ただ、その時は何かに気を使うようにそっと歩いていた。目を明かりの方へ向けると一対の狛犬が向き合って置いてある。
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どこにでもある神社の風景であるが、暗闇にほのかに照らし出されたそれらは、言葉にできない何か特別な空間を作っているように思えた。こちら側と、彼らがいる向こう側で明らかに何かが違っている。
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彼らに気を使うようにゆっくりと近づいていき、近くで見る彼らは、やはり昼間見ているものとは何かが違っていた。もちろん生物のように生きているわけでもない、そう感じたわけでもない。それがなんなのか良くわからないが、「命」があるように感じたというのが一番しっくりくる表現のように思われる。
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もちろん、命は生きているものの中にあるので、狛犬の中にないことは知っている。しかし、そこにはそんな神秘的な空間がたしかに存在し、「異空間」を作り上げていた。




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by squeu | 2016-01-16 19:28 | ありふれた日常 | Comments(0)

テレビに出ていたアサギマダラ

あけましておめでとうございます。

昨年もきっちりサボりました。
このブログも一体何が主体かもわからず、なんのために作成しているのかもすでにわからなくなっておりますが、まあそこはあまり考えずに今年も思いついたことや、その時興味のあったことだけで書くということにしておきます。

さて今回も蝶関連です。
とはいえ、暖冬とはいえすでに真冬、おそらく蝶が見れることはないでしょう。そんな時ふとテレビを見るとアサギマダラと言う言葉が聞こえてきました。
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ふと目をやると、おじさん(たぶん蝶愛好家)がマーキング(ハンコ)のようなものを翅に押されたアサギマダラを持っていました。

私はぴーんときました。
「きっとそのマーキングに対して文句を言うのだろうな。」と、こころの中で決めつけていましたが、おじさんの口から出てきた言葉は、まったく逆で「このマーキングはおそらく愛好家が調査のためにつけたのは間違いない。ぜひ一緒に調査をしたいと思うので連絡が欲しい」そんな内容でした。

そのあと、すぐ家族にチャンネルを変えられたのでどうなったかわかりませんが、実に複雑な気持ちになりました。
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もちろん違法でもないし、その行為自体問題は何もありません。
問題があるとすれば、私と感覚が多少違っていることだけです。

蝶に限らず、写真を撮るだけ毛の人もいれば、標本など収集をする人もいます。テレビに出ていた生態調査をする人もいます。
何も問題ありません。
が、私としては、自然があってそこに少しお邪魔して写真を撮らせてもらう。あるのもはできる限りそのまま的な感覚があります。

もちろん調査したり、森を整備する人がいるから人は森で簡単に散策でき、調査の結果生態やいろいろな情報が出るので、あたらに興味を持つ人もいると思います。それで多くの人に注目されるようになれば、自然保護や個体の保護につながる。とも言えます。

しかし、逆に人が多く入る森はそれだけで、生態系や環境が少しづつ崩れていきます。たくさん人が集まって嬉しいのは、人の感覚であって、森や植物、生物が望んでいることでは決してないと私は思っています。

逆に里山など、里山として人が手入れしなければ、里山の生態系が崩れて、里山にいきている生物がいなくなることもあります。里山に生きる生物には人に手入れが必要とも言えます。その里山を大切にする運動もあります。

個人的には、それもどうなんだと思います。
そのために整備して多くの人が訪れて、ロープを張り進入禁止にして、もともと雑草があったところをある一周の個体のために整備する。

これは非常に悲しいことのように感じます。

おそらくこれと同じ感覚をテレビのおじさんにも感じたんだと思います。
正直、わがままな言い分である側面は感じますが、あくまで少人数の酔狂な人間だけが人のあまり来ない、最低限の整備がされたところに行くのが、もっともバランスがとれた自然への姿勢であるように思えます。

生態調査も職業かほぼ職業に近いかたのみが実施して、あとは外から優しく見守る程度がもっともよい、人間の自然の接し方のように私は思えます。
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ともあれ、自然の接し方は法律的なしばりがない部分では個人の考えですので、本来私がどうのこうの言うことではありませんが、少し切なく感じました。


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by squeu | 2016-01-09 15:45 | ありふれた日常 | Comments(0)